バインミー専門店オープンまでの記録【3】

文:STAFF TEC
~バインミーが大人気になると信じて~
>>バインミー専門店オープンまでの記録【1】はコチラ
私達が必死でお店のオープン準備をしていた頃は、東海地方にまだ1件もバインミー専門店がありませんでした(東京に1店舗のみ)。バインミーを食べたことが無い人に早く食べてもらいたい!美味しさを知ってもらいたい!というワクワクの気持ちと、物件が決まり家賃が発生しだした事から焦りが生まれ、とにかく急がないと大変だと思うようになりました。

オープンが間近になってくると睡眠時間が減り、しゃがみこんで作業をしていると眠さのあまり目を閉じて地面に突っ伏してしまう事も何度かありました。テレビを観る暇も無く、世間の情報が何も入って来ていなかったので、まさかもうバインミー屋さんがどこかでオープンしているんじゃないか・・・と不安になるたびにSNSで「バインミー」「ベトサン」等と検索し確認するという、今思えば笑ってしまうような行動を大真面目に繰り返していました。しかし、当時は検索してもバインミーについて投稿している人はごくわずかでした。あの時の自分に「当分の間あまり注目されないから焦らなくていい」と教えてあげたいです。

プレオープンの前夜、「なぜ明日がプレオープンなんだろう。まだやる事が沢山あるのに」とNACHIに訴えながらバインミーを入れるための耐油袋にハンコを押す作業を黙々とやっていたのですが、押されたインクが全然乾かないことに終盤で気づきました。あの時のショックは大きかったです。たかがハンコなので大したことないのですが、使い物にならなくなった袋を見て、もう、この世の終わりかというほど絶望的な気持ちになりました。NACHIは「仕方ないよ。そんなの大したことないから」とだけ言って自分の仕事に戻っていきました。こういう時、私としては一緒に「最悪!信じられない!」と絶望的な時間を共有してもらったほうが気持ちの切り替えも早く前に進めます。「油性インクなのに!」と一人で騒ぎきった後、耐油袋は外側もコーティングされてインクがのらないのだと納得して大人しく作業に戻りました。プレオープン前日くらいは早めに寝て当日の為に力を蓄えたかったですが、一日延ばしたとしてもきっと同じ状況に陥ったと思うので、これで良かったのだと思います。

当時の私は(今でもそうかもしれませんが)周りのやる気を無くさせるくらい、弱音を吐くことが多くありました。そんな感情を口に出す私にNACHIはよく耐えていました。辛抱強さを感じます。弱音を吐くたびに「ちょっと待って、その話、後でもいい?」とスルーされ続け、なんとかプレオープンまで漕ぎ着けました。結果的にNACHIが私の弱音を無視してくれたからこそ、無事にオープンできたと思っています。そうでなければ、オープンは2014年ではなく2015年になるところでした。

そういえば、お店を始めた事をきっかけに、10年以上続けていた個人HPやブログの更新を辞めたのも個人的には大きな決断でした。私の生きがいでしたので休止するなんてあり得なかったのですが、忙しすぎて手放す他ありませんでした。何かに挑戦する時は何かを捨てなくてはいけない、とスティーブ・ジョブズも言っていたと思います。
色々と話がそれたりしましたが、あの日があって今がある、以上がオープン準備の思い出でした。

↓この赤いベンチですが、今の店舗でも使っているベンチです。色あせてしまって同じものとは思えないですが、さすがテラモトのベンチ。約10年、雨や強い日差しに照らされ続けてもなんとか、まだ現役です。
★掲載写真は移転前の旧店舗の写真です。



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